不登校の定義
不登校の定義とは?. 「不登校児童生徒」とは「何らかの 心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景 により、. 登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために 年間 30日以上欠席した者 のうち、. 病気や経済的な理由による者を除いたもの 」と定義しています。. (引用元: 「不登校の現状に対する認識」 文部科学省)
我が家の息子たち、
長男「ぐり」は不登校です。
次男「ぐら」は不登校ではありません。
1.ぐりは不登校
長男ぐりは、中学2年生で不登校になるまで、学校が好きで、行事には積極的に参加し、成績は常にトップクラス、部活でも活躍、部長と生徒会長を兼任するほど活発な子でした。
先生には
「どうしたら、ぐり君みたいな子に育つのですか?クラスに一人ずつほしい存在です」
と言われるほど。親として、ぐりの学校生活で不安はありませんでした。
中学2年の1月下旬、インフルエンザを発症し、出席停止期間お休みし、登校許可の出たあたりから体調の異変が起こりました。
「起立性調節障害」でした。
2年生3学期、残り1か月半は、欠席したり、遅刻で登校したり、放課後の部活や生徒会の活動時間だけ登校することもありました。
4月の新学期、1週間は車で送り届け登校しました。その後、欠席。
5月ゴールデンウイーク明け、修学旅行へ行きました。その後、欠席です。
ここから、不登校へと突入します。
2学期は始業式に登校しただけで、卒業まで完全不登校を選択したのです。
2.ぐらは不登校ではない
次男ぐらは、いつも笑顔で朗らかな子でした。
小学2年生の2学期ごろからお友達とうまくいかないことが多かったり、納得のいかないことが増え、学校が嫌な場所になり、笑顔が消え
「明日から学校には来ません」と先生に宣言します。
当時の私はぐらの気持ちを受け入れることができずに、根性論で乗り切らせようとしていました。(その後、猛省します)
引きずって登校させました。
先生に抱えられて登校させました。
泣きながら登校させました。
教室が無理なら保健室でいいからと登校させました。
私も必死でした。学校まで5分ほどの近さなのですが、一時間以上かけて登校しました。毎日が闘いでした。
小3の夏休み明けに、私はようやく気付きます。
本当に大切にしなければならないものが何かを。
昼間、みんなが登校している時間に学校に行かせることをやめました。
放課後に登校するスタイル「放課後登校」に切り替えます。
同時に「適応指導教室」へ入室させます。
放課後登校も適応指導教室も出席扱いにしてもらえたので、
小3、欠席はぼぼゼロでした。
小4も授業に出られない日は、放課後登校か適応指導教室へ行っていたので、欠席ほぼゼロ。
小5はコロナ休校からの分散登校でのスタートでした。
この年は担任の先生の都合で、放課後登校の対応が難しいと言われ、
ぐらは朝、みんながいる時間に学校に行くことになります。
日によって、授業に出られる日もあれば、宿題提出だけで帰宅する日もありました。
どちらにしても毎日登校していたので、欠席ほぼゼロでした。
3年間、1日のうちのどこかで登校していたので、欠席ほぼゼロ。
(逆にすごい)
ぐらは、不登校ではありません。
でも、明らかに学校生活に苦悩しています。
私は、2人の子どもが不登校か不登校でないかのレッテルはどちらでも良くて、
それぞれが学校生活でどんなことに苦悩しているか(していたか)を理解してあげること、また本人が、自分はどんなところが苦手なのかを知ること(自己理解)が大事だということに気づきました。
学校に行ったら解決ではないということです!