こんにちは、ぐりぐらママです🌈
学校が苦手で短時間登校をしている次男ぐらですが、
先日、社会の授業に出ました。
小学6年生、歴史です。
戦国の三武将を詠ったあの有名な俳句が
出てきたと教えてくれました。
鳴かぬなら、鳴かせてみせようホトトギス(秀吉)
鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス(信長)
鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス(家康)
それぞれの性格を比喩したものですが、
この話から、
「鳴かないホトトギス、自分ならどうするか?」
という会話を次男ぐらとしてみました。
「鳴くまで待つ」
ぐらは即答しました。
「無理に鳴かせてもかわいそうじゃん」
「そのうち鳴くでしょ」
という感じらしい。
まぁ、普段の彼を見ていても、そんな感じがします。
(きっと自分もそうして欲しいでしょうね・・)
私は・・・?
ぐらは実際のホトトギスを想像したようですが、
私は、人に置き換えて想像してしまいました。
ホトトギス=パパと考えてしまうと
「鳴かぬなら、私が鳴くよ ホトトギス」
かな(笑)
逆に、私が泣かない時はパパに鳴いてもらえばいっか。
一緒に仲良く鳴きましょうとは
思い浮かびませんでした😁
ホトトギス=息子たちと考えてしまうと、これが深い。
以前の私は、
「ホトトギスなんだから鳴くのが当たり前!」
という変な前提があり、
「なぜ鳴かない?」
「どうしたら鳴く?」
環境を整え「さぁ鳴けるか?」
対応を変えて「これで鳴けるはず?!」
あの手この手を試してみる!
というまさに、秀吉でした。
もしかしたら、ホトトギス(息子)からしたら
「ここで鳴かなかったら・・・😱」と
私を信長に見ていたかも知れません。
今は、
「ホトトギスだからって、いつも鳴いていられないよねー」
「今は鳴きたくないのかな」
「鳴きたい時に鳴けばいい」
「自分が今だ!と思った時にきっと綺麗な声で鳴くさ」
「ここが安心して鳴ける場所じゃないのかな」
といった感じに考えます。
(どうしても不登校がちらつく回答ですが😁)
家康寄りになったかな。
でも正直、そう思おうと自分に言い聞かせている時もあります。
まだたまに「鳴かせてみせよう」と、
秀吉が顔を出してくることがあるんです。
でも、無理矢理鳴かせたものは、
その時一度は鳴いてくれたとしても、
もう次は鳴かなくなってしまう。
自分の意志で鳴かなければ、
本当の鳴き声ではない。
それも学びました。
鳴くか鳴かぬか、自分で決めよ ホトトギス!
楽しく鳴ける場が きっと見つかる ホトトギス!
今はこのスタンスでいきたいと思っています!