ぐりとぐらとママのきろく

元不登校長男「ぐり」と、現役不登校次男「ぐら」との記録です。

不登校、最後のご挨拶に行きました。

こんにちは、ぐりぐらママです🌈

 

先月、不登校次男の義務教育修了を迎え、

小学生の頃からお世話になった適応指導教室へ

ご挨拶に行ってきました。

息子は、最後の登室日に、

自分でご挨拶してきたようなので、

この日は私だけ。

 

私もたくさん支えてもらってきたので、

どうしてもお礼を伝えたくて、

お時間をとっていただきました。

 

現状の息子の様子から、

可愛さ満載の頃のこと、

大変だった頃のこと、

懐かしい話をたくさんしてきました。

 

今ならわかる、当時の息子の行動の意味。

不安。

戸惑い。

悲しみ。

苦しみ。

葛藤。

 

あの頃の私は、息子に対して

「どうして?」

という気持ちばかりで、

「困った行動」「心配な子」と捉えていた。

「息子の気持ちをわかりたい」と

思いながらもわからないことが多くて。

 

何度も相談員さんやここの先生方に

助けていただきました。

私がなんとかしなくては、

私が頑張らなくては、

私が、私が、と

常に歯を食いしばっていた状態だった私に

「泣いちゃえ」って言ってくれて、

思い切り泣かせてくれました。

それからも、ここで私、

何度泣いたかわかりません。

 

なぜあの頃の私が息子の気持ちをわからなかったのか。

息子のことを頭では理解していても、

心が寄り添えていなかったのかも知れない。

言葉では寄り添うようなことを言っていたけど、

私の本当の本当の本心は、

実は変わっていなくて、

「息子を変えよう」

と必死だったんだと思う。

 

それが正解だと、

そうすることが息子にとっていいことだと

思い込んでいたから。

 

でも、今思えばそれも、

学校に行くことが息子の正解

と思っていたのももちろんだけど、

学校に行かせることが親の正解、

と思い込んでいた部分もあったな。

 

息子が不登校になって、

たくさんの思い込みを持っていたことに

気付いた私。

学校がらみだけでなく、

生きること全てにおいて。

 

息子の不登校をきっかけに、

私のこの勝手な思い込み、

べき、ねば、

正解、不正解をジャッジすること、

など、たくさん手放すことができました。

 

不登校になって良かったとは言い難いけど、

ただ不登校になったことを黒歴史とは思っていなくて、

ここ(適応指導教室)に来て、

たくさんの方に頼らせてもらえたり、

助けていただいたり、

温かい支援をいただけたということを含めて、

貴重な経験だったし、

親子それぞれに意味のある時間だったと、

この先の糧にしていけると、そんな風に感じています。

 

社会って広いはずなのに、

学校という集団から離れただけて、

社会全体から孤立するかのように感じました。

だから、学校に行かない選択には、

それなりの勇気と覚悟が必要で、

その強さを得るための葛藤の日々を過ごしました。

だけど、

やっぱり社会って広かった。

学校じゃない場所。

よく言う『じゃない方』というやつですね。

学校じゃない方で、多くの時間を過ごした息子。

『じゃない方』で笑顔を取り戻しました。

『じゃない方』で大切なお友達に出逢えました。

『じゃない方』でたくたんの思い出ができました。

 

もし今、あの頃の私に声をかけるとしたら、

自分が困っていることを認めて、

どうしたらいいのかわからないと声をあげて、

その困りごとを相談しに出向いた、

その判断と勇気に、

よく頑張ったねと労ってあげたいと思います。

「おつかれ様」と頭を下げるひよこ

感謝の気持ちをお伝えできて、

気持ちの整理ができて、

私も一区切りつきました。

 

卒業、おめでとう。

卒業祝いの花をもらったひよこ